眺めのいい文庫本
北條一浩

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第3回
なだいなだ著『娘の学校』
(中公文庫、1973年〔写真の本は1990年の第19刷〕)


4人姉妹の本は、3色信号機とともに私の中で記憶される。

 4人の子の父親。気が遠くなる。そして4人とも女の子だという。ますます気が遠くなる。4姉妹だなんて、谷崎潤一郎の『細雪』じゃないか。あっちは大阪船場が舞台だが、こちらは東京のようだ。それに時々フランスが出てくる。そう、4姉妹はフランス人の奥さんとのあいだに生まれた子たちなのだ。
 タイトルのとおりこの本は、「娘たちよ、パパの話をよく聞きなさい」とばかり、わが子に向かってレクチャーするスタイルを取っている。題材は、音楽のことをはじめ、読書、文学、政治、人生論、人類学、ヒューマニズムと不条理、ニキビと落書き、性教育、健康と多岐にわたる(以上目次より)。執筆時、著者は39歳。えっ? じゃあ娘は…… いちばん下の子はまだ2歳になったばかりで、これは将来いつか読ませるため、そしてむろん、そういう体裁を取りつつ大人に向けて書かれたものである。

 なだいなだという人は精神科医である。精神科医でもの書きというと北杜夫をすぐ想起するが、実際北とは親しく、本書にも出てくる。年齢も2歳しか違わない。北杜夫がドイツであるのに対し、こちらはフランス。本書の興味深い点の一つに、フランスの例の68年5月革命の季節がリアルタイムで報告されていることがあげられる。
 なだいなだ氏は、パリの学生たちによるこの叛乱には冷静な距離を保ち、必ずしも前のめりなっているわけではない姿勢をやや強調しながらも、心情的には相当にコミットしている様子が垣間見える。「パリ大学の学生が、日本の三派系全学連の戦術を真似たことは、誰でも知っている」とし、そのあと「わが学園には、三派ではなく、一つ多い四派全学連がいる。三派までは何とか自信があるが、最後の一派が問題である。この一派は手ごわい」と、まずはおどけてみせる。「四派」とはむろん4姉妹のこと、「最後の一派」は2歳の末娘に手を焼いてる様子だ。
 そしてそのあと注目しているポイントが、学生たちの立てこもるバリケードの中の「日常」である。「清掃班」「補給班」「防衛班」とあり、ここまでは理解できるが、「保育班」があることに驚く。「子供のある女子学生もかなりいる」からだ。このあたりはフランスならではというか、日本の学生運動の内実が、かなり男尊女卑であったことが数々の本で指摘されているのとは対照的だろう。

 そして「三派」とか「四派」と書いたのは他でもない、ブックカバーのことを書きたかったからだ。写真を見ていただきたい。絵本作家である柳生弦一郎氏によるものである。どう見ても著者と思われるひげ面や、子どもたちらしき女の子たち、動物たち、傘などが描かれている。「娘の学校」というタイトルの書体も、手作り感と「こういうフォント、あるのかな?」と想像したりすることとの中間くらいに位置していて、なんともくすぐったく、うつくしい。
 そして白地に、赤、黄、青の3色が楽しくチャーミング。実に実に、持っていたい、置いておきたい文庫本なのだ。
 で、この文庫本を手にして少し経った頃に「あ」と気が付いた。気が付いたというより自分にあきれた、というほうが近い。これ、信号機の組み合わせではないか。色味も信号機そっくりである。私たちが習慣的に「青」と呼んでいる実際は緑に違いあの色も、かなり信号機に近い。

 むろん、これは勝手にそう解釈・妄想しているだけのことで、柳生弦一郎氏には、まるで信号機なんてモチーフはなかったかもしれない。しかし一度「信号機」の概念をアタマにインプットしてしまうと、「4姉妹で信号機、4姉妹で3色とはどういうことか?」と考えてしまうのである。
 この文庫本、裏側(表4のカバー)にも実は同じ意匠が施されていて、つまり信号機を1つの単位とすると全部で6つの信号機があり、1つのマルを単位とすると全部で18個のマルが存在する。
 読みながらバカバカしいと思う方はもうここで止めていただいたほうがいいと思うがもう一つ続けると、この赤、黄、青の割合が均等ではないのだ。3色が6個ずつで18個ではない。黄と青が7個ずつであるのに対し、赤は4つ。つまり、信号機を形成していない箇所が2つある……。

 意匠になにがしかの意味が必ず込められていると考えるのは愚かなことだろう。私もそうは考えていない。これが、4姉妹となると「行け」「止まれ」「注意」の3つあってもどうにも収まらないくらいに大変である、ということの表象だなどと言い出すつもりはない(今ここでそう書いたがほんとにそうは思っていない)。でも、身勝手な妄想は本に接するときの愉しみの一つであることは間違いない。

 赤、という色はやはり引きが強いから、少数派にしたのかな。ちなみに、私は持っていないが画像検索してみると、『続 娘の学校』の単行本は同じくこの3色がそれぞれ丸く使われているものの、釦(ボタン)として描かれている(文庫は3色とまったく無関係)。

 やっぱり、柳生氏には信号機なんて意図は無かったんだろうな、きっと。

北條一浩(ほうじょう・かずひろ)
ライター、編集者。書店や本に関する仕事が多いです。サンデー毎日、AERA、東京人、週刊読書人などに執筆。著書に『わたしのブックストア』(アスペクト文庫)ほか。

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